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福岡県糟屋郡宇美町大字四王寺
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ここへは、何かのついでや太宰府天満宮へ参拝へ来た時に良く立ち寄ります。麓に母校もあるので昔は、良くここへ走って上がって来ていました。 登山する方も多く、近隣のジョギングコースとなっているようで、駐車場に車を置いて、四王寺一帯を散策しているようです。 小学生の頃、登山の好きな先生とみんなで来たことがあります。その時には、キャンプ場で一泊して花火を楽しみました。大きくなって来てみたのですが、その場所、キャンプ場が何処だったのか?確か、キャンプ場にアスレチックのような遊ぶ施設などもあったので「県民の森」かな?とも思ってます。 |
特別史跡大野城跡 今から約1300年前天智天皇2年(663)百済救援のため朝鮮半島に出兵した日本軍は白村江の戦で唐新羅軍に大敗した翌年敵の侵攻にそなえて防人と烽(のろし)を置き水城を築きさらに665年には百済からの亡命貴族の指導により大野城 大野城は大野山全体を城とする雄大な構えの朝鮮式山城で山の稜線にそって土塁をめぐらし谷には石垣を築きその内側に倉庫等の建物を設け大宰府が危急の場合逃げ込み長期間龍城防観できるしくみになっている。
大野城とは |
大野城が築かれた理由 7世紀の中頃、朝鮮半島では 唐と新羅の侵攻を恐れた日本は北部九州を中心に防衛網を作りますが、その一つが大野城、基肄城、水城なのです。
城の構造(城壁と建物) 大野城と万葉集 |
特別史跡大野城跡 今から約1300年前天智天皇2年(663)百済救援のため朝鮮半島に出兵した日本軍は白村江の戦で唐新羅軍に大敗した翌年敵の侵攻にそなえて防人と 大野城は大野山全体を城とする雄大な構えの朝鮮式山城で山の稜線にそって土塁をめぐらし谷には石垣を築きその内側に倉庫等の建物を設け大宰府が危急の場合逃げ込み長期間龍城防観できるしくみになっている。 |
四王寺山一帯は特別史跡「大野城跡」で、いたるところに史跡が点在しています。大野城跡は「百済式築城法」による日本最古の山城といわれ、山の地形を生かした土塁が唯一の防御施設。 土塁に囲まれた区域は約210ヘクタールもあり、南北の土塁は二重に築かれています。「百間石垣」は谷をわたる土塁が水で流されないよう石で築いたもの、長さが99間(約100間)あるところから、こう呼ばれています。 |
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