原爆落下中心地公園

長崎県長崎市松山町付近

撮影日:2005年02月13日

原爆落下中心地


浦上天主堂遺壁


被爆50周年記念事業碑



被爆当時の地層

 原爆中心碑から下の川に降りると、被爆当時の地層を見ることができる。上の層は被爆後の復興工事で埋め立てられたもので、その下の黒い地層が被爆以前の地表面です。
 地下2m程にある赤い地層からは100余りの人骨や石に付着した溶けたガラスの破片や気泡だらけの瓦、 炭化した木片が出土しました。この地層では、瓦、レンガ、熱で溶けたガラス、茶碗、針金など、当時ここに住んでいた人の生活の様子がうかがえる。
 瓦の表面が溶けてできた、ガラス質の泡状の火ぶくれがあり、原爆の熱線をうけた痕跡をはっきりととどめている。このようにガラス質の泡状ができるには表面温度が2000℃以上の熱を数秒間照射する必要があるといわれています。この地が、当時高温にさらされたことを瓦が語っている。

平和を祈る子

 1967年8月9日、「長崎平和折鶴会」が設立。
 原爆地付近には多くの学校があり、原爆で亡くなった少年少女は約1万人ともいわれています。この像は、被爆20周年に長崎平和の折鶴会が国内外から募金を集め、人類永遠の平和を象徴する像として建てられました。
 台座には世界15ヵ国と国内各都道府県から「平和の石」として贈られた石がはめ込まれています。

原子雲の下で
 母さんにすがって泣いたナガサキの子供の悲しみを二度と、くりかえさないように。
大砲の音が二度となりひびかないように、世界の子供のうえに、いつも明るく太陽が輝いていますように。

     
     
     
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