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鏡山

佐賀県唐津市鏡

撮影日:2009年01月15日

 玄海国定公園「西展望台」から唐津市方面です。
 眼下に
本三大松原の虹ノ松原を望むことが出来ます。海に浮かぶ小島は「宝島」です。今日は、真っ青な青空だったので海も綺麗な青さでした。こんなに綺麗な眺めは幾度か訪れた中でも数少ないです。
 鏡山には三つの展望台があります。
「西展望台」・「東展望台」・「ひれふり展望台」の三つで、観光で紹介されているのは「西展望台」ですが、私のお薦めは、「ひれふり展望台」です。
 西展望台も悪くは無いのですが、ひれふり展望台の方が壮大かつ虹ノ松原が大きく見えて景観は凄く感じることができると思います。
鏡 山

 松浦潟に沿って、「日本三大松原の虹ノ松原」が、長さ5km、幅500〜1kmに渡って広がり、この壮観を一望できるのが、「鏡山」になります。
 山頂への登り口には大きな鳥居があり、16ヶ所のカーブを越え、山頂駐車場を目指します。駐車場は広いですが、トイレ近くのスペースに停めて、5分ほど歩いていくと、展望台があります。
 ここからは虹ノ松原を中心に、180度のパノラマ夜景を見下ろせ、特に松浦側に掛かるオレンジ色の橋が印象的です。
 また、ガラス張りの室内展望室も備えられているため、風が強い寒い時期でも、ゆっくりと夜景鑑賞できるようになっています。

駐車場の脇に佐用姫伝説の説明版がありました。

<伝説>鏡山物語 その一松浦佐用姫

 古今東西の人々に紅涙を出させる松浦佐用姫物語の発祥の地は鏡山である。
宣化天皇2年(537年)朝鮮半島で新羅が任那を攻めたので時の帝の命により大連大伴金持盤狭手彦兄弟を援助に向かわせた大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、この松浦の篠原長者の家に滞在して軍船の準備をした。
そして何時とはなしに長者の姫佐用姫と恋仲となった。
 やがて出陣となり狭手彦は断ち難い佐用姫への思いを残して出航した。姫は去り行く舟影を求め鏡山に登り領布を振り見送った、別れの辛さに姫の目は涙で溢れ、流れる涙は水溜まりとなり、後に山頂の池となったと云う。




 別れの悲しみに狂乱した姫は山を下り、松浦川を渡り対岸の岩瀬(佐用姫岩という)に這い上がり、狭手彦を追って呼子加部島へと走った。
 しかし舟影はすでになく、姫は天童山で七日七番泣き続け遂に石となったと云う。後世土地の人は、姫を偲び望夫石と名付けた。
 やがて帰国した狭手彦は姫の死を知り菩提のため持参した黄金の観世音像を鏡山山麓赤水に安置した。
 年移りこの御仏はこの土地の名刹恵日寺に移され、秘仏として祀られている。




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